profile

いつもUすけブログを閲覧いただきましてありがとうございます。

このprofileでは、私自身の歩んできた人生についてを話してみたいと思います。

よろしければ最後まで読んでいただけると幸いです。

簡単に自己紹介をします。

名前:Uすけブログ
年齢:27歳(1996年生まれ)
学歴:地方国立高専→千葉大学
職歴:不動産ベンチャー営業職→某営業職

ざっとこんなところでしょうか。

それでは私の歩んできた人生についてお話ししていきます。

冒頭からこんなことを言うのは少しアレですが、、、

ぶっちゃけた話、私は昔から勉強は人より得意でした。と言うよりも、成績がよかったです。

ちょっと嫌なやつですよね笑

でもこのprofileページでは私の真実や、本音のみを書いていこうと思うので、気分を害してしまった方がいましたら読んでいただかなくても構いません。

そう、私は昔から勉強が出来ました。小学校時代・中学校時代では、周りと比べて大した努力もなしにテストでは高得点が取れていました。

今思えばかなりの天狗でした。(その分宿題をやらなかったり、授業中の態度はよくなかったので通知表は3〜4ばかりでしたが、、、あ、音楽は2でした笑)

そして高校受験の年、地元の頭の良いと言われるいくつかの高校の中から国立高専を選びました。

理由は工業系の道に興味があったこともあり、父親に「通える範囲の高校で一番頭の良い高校はどこ?」と尋ねたところ、「それなら高専一択だね。」と返ってきたこと。

もう一つは受験の時期が早いので、合格すれば早く自分の携帯を買ってもらえるということですね。今思えばたった1ヶ月ほどの差ですが、当時はそれがかなり大きかったです。

自分で大して調べもせずに高専を目標に掲げて受験しました。

流石に高校受験に関しては、過去問を何度も解きましたね。高専に落ちたら高校に行かなくても良いと思っていたくらいですから、県立高校や私立高校の対策なんて一切していませんでした。他の高校なら受験勉強せずとも合格すると思っていましたしね。

私の高専受験の勉強法について詳しく知りたい方は、このブログ内にありますので探してみてください。敢えてこのページにリンク等は貼りません。記事への誘導よりも自己紹介がメインですので。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、それでなんとか高専に合格しました。

そして念願の高専、「やっと自分と同じくらいの学力レベルの人たちと話ができる!!」なんて思いましたね。

友達もでき、私は中学の時からやっていた陸上部に入部します。

部活に遊びに熱中していたらあっという間の中間テスト期間です。

高専のテスト期間は長いんですよね、1ヶ月くらいあります。

しかし私には何の関係もありません、だって勉強のできる人間だから、自分は天才だから。

テスト前日も友達とカラオケに行き、そのまま家に帰って寝ました。

テスト当日、数学Aのテスト中、あの時のことは一生忘れないと思います。

問題がわからなすぎて手の震えが止まりませんでした。

テスト勉強をしていないどころか、私は授業中のノートなんて1文字もとっていませんから。今までそうやって中学時代を乗り越えてきたので、そこに何の疑問も感じたこともありませんでした。

しかも数学は一番の得意教科でした。

中間テストの成績が返ってしました。私は堂々のビリでした。

私が感じたのは悔しかったとか悲しかったとか、そういうものとは全く違う感情でした。

意味がわからない。

本当に、素直に、心の底からそう思いました。

そうは言っても人間すぐに変われるものではありません。期末テストでも成績は悪く、担任に「このままじゃ留年はほぼ確定だな」と宣告されました。

少し話が変わりますが、高専での留年はそこまで珍しいことではありません。当たり前ではありませんが、毎年同じ学年で5〜10人は留年していきます。

しかし流石に留年はマズいと思いました。というよりもプライドが許しませんでした。

担任は陸上部の顧問でもありました。

もともと仲が悪かったので余計にムカつきましたね。

留年する・しない論争すらも勃発し、研究室に何度も言い争いのために呼び出されました。(高専には職員室がない代わりに、教授一人一人に研究室という部屋が渡されます。)

そこまでしても、先ほども述べましたが、そこまで追い込まれても人間そう簡単に変われるものではありません。

私は文化祭で披露していた先輩のバンドに感化され、バンドを始めました。

もちろんその時に陸上部も辞めました。陸上でもある程度の成績は収めていたので、担任兼顧問に何度も反対され、文句を言われ、「お前は絶対留年する。部活を辞めて真っ当に高専生活を送れる訳が無い。」なんて言われながら辞めました。

陸上部の仲間や先輩方は大好きだったので悲しかったですね。今でも仲良くしてくれる方もいるので感謝しています。

その後、バンドを始めてからは毎日が楽しかったですね。

毎日ライブハウスに通ってライブをしたり、友達のバンドを観に行ったり、バンド仲間と古いショッピングモールのフードコートに屯ってワイワイ騒いだり。

なぜあの時、私の親は注意してこなかったのかが気になります。怒鳴られてもしょうがない程に悪ガキだったと思います。

今考え直してみて思うことは、多分親は私が自分で気づいて戻ってきてくれることを信じてくれていたんだと思います。そのような教育をしてきた自信があったんでしょうね。

バンドマンはどこにいっても、悪いイメージを抱かれてしまいます。別に他人に迷惑をかけているわけではないのに。

まあ私も同じイメージを持っていたので何も文句は言えませんがね。

しかしそのバンドマンの中に、めちゃめちゃに演奏が上手いかつ、高専の先輩で成績が常にトップだという人を見つけました。

「バンドの凄くて勉強もものすごくできる。かっこ良すぎる!!!」

単純な私はそう思いました。そこでなぜか自分にこんな誓いをしました。

「誰よりも遊んで、誰よりも楽しんで、誰よりも勉強のできる人間になろう。」

そんなのは無謀です、何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないことはわかっていました。

けれど当時の私の座右の銘はこれです。

「二兎追い、二兎得る」

強欲ったらありゃしませんね。困ったクソガキでした。

そして自分なりの最も効率の良い(時間をかけずに良い成績を取る)勉強方法を模索しました。

その結果、とある勉強法にたどり着きました。その勉強法についてもこのブログに載せてあるので探してみてください。

後期の中間テスト、私はその勉強法のおかげで少しの勉強時間で順位を20位上げました。やっと半分ぐらいです。

後期の期末テスト、私は5位でした。予想以上の効果でした。

勉強時間が少なくて良い分、たくさん遊びましたね。

しかし成績は良いので誰も文句は言いません、それが最高に気持ち良かったのを覚えています。

留年は余裕で回避できました、担任には中指を立ててやりました。決して良いことではありませんし、自分でもあの時はクソガキだったなと思いますが、当時はそれが仲の悪い担任への精一杯の抵抗でした。

そして着々と年月は進み、あっという間に大学受験です。

もともとは卒業したら就職するつもりで高専に入学しましたが、遊ぶことの楽しさを覚えてしまった自分は制御できませんでした。

この先の道は大学編入を選びました。

ある程度の成績を収めていたため、推薦で合格する気しかありませんでしたが、一応編入試験の勉強もしていました。

推薦は当時の私なら余裕で合格できる宇都宮大学、ちょっと厳しい千葉大学の2択でした。

初めて進路について親に相談しました。すると普段私の行動にうるさく口出ししてこない親はこう言いました。

「大学に編入後、本気で勉強して最高に良い企業に就職するなら宇都宮大学に行きなさい。もしも大学に行って遊び呆けたいなら千葉大学に行きなさい。逆は絶対にしてはいけないよ。大学に行くお金を出すのは私たちなんだから、そのくらいの約束はしてね。」

流石は自分の親だなと思いました、嘘が嫌いな私がこんなこと言われたら、どのように思うかをわかっていたんですね。

私は大学に勉強しにいくつもりは一切ありませんでした。せっかく努力して大学に編入するからには”遊び”に行くんです。

相談した後、真っ先に千葉大学の推薦対策を始めました。

たくさんの教授に話を聞いて、たくさん考えて、たくさん悩みました。

そして最強の推薦試験対策を編み出し、見事千葉大学に合格しました。

最強の推薦入試対策についてもnoteに書いてあります。このブログのホームにリンクがあるので飛んでみてください。

そして2年間しかない大学生活、ひたすらに遊びましたね。

居酒屋でのバイト、黒服にも挑戦、バーでのバイトで様々な尊敬する方々との出会い、最高に楽しい大学生活でした。

あっという間に時間は過ぎ、遂に就活の時期になりました。

就活も持ち前のコミュニケーション能力で何とか就職することができました。

しかしここで人生最大の転機が訪れます。

私は7ヶ月で転職を決意しました。

理由はいくら成績を上げても全然稼ぐことができなかったことです、就活の際の調査ミスでしたね。やってしまいました。

正直、「自分はやればなんでも出来る。」と思っていました。転職先もあっさり決まりました。

しかしまた転職を考え始め、人生二度目の転職活動を始めました。

ここで自分の人生が大きく動き始めました。

さすがに二度目の転職活動は、そう上手くは行きませんでした。

まず書類選考が通らないし、通ったとしても面接で短い社会人生活で転職が多すぎるという理由で落とされました。

ここで気づきました。

「自分は勉強は出来るが、継続することが出来ない。」ということを。

そしてある会社の面接で言われました。

「君はフェラーリのエンジンを積んだ軽トラックだね。」

その言葉の意味は簡単に理解できました。要するに、自分はたくさん考えて動くこと・継続することが出来なければ、本当に無用な存在だということだ。

ここで初めて私は実感しました、自分は無能なんだと。

でもそこで僕は挫けませんでした。

なぜなら「二兎追い、二兎得る」これが私の座右の銘だからです。

天才だと思っていた私は超凡人なのです。

しかし逆考えれば、自分は継続や努力ができれば最強の存在になれるのではないかと思ったからです。

「どうしたら努力を継続できるのか?」

そう何ヶ月も悩んでようやく答えが出ました。

《自分の好きなことなら続けられる》

当たり前に出る答えかもしれませんが、私には難しいことでした。

学生時代に何だかんだやっていた勉強、人の意見を聞くことが好きで続けていたTwitter、この2つは続けられると思った。

だから私は自分が経験した勉強や大学編入、成績を出せていた不動産営業などについてのブログを書き始めました。

さらにTwitter運用でこれから先生活していきたいと思いました。

私のブログを見てテストの成績が伸びた方、受験に成功する方、就活・転職活動に成功する方、ブログを始めたいと思った方、ブログを始めることができた方、ブログで稼いでいく術が分かった方、そんな方々のコメントがすごく力になっています。

だからこそこれからもブログ・Twitterも続けていきます。

そして「このブログを見てよかった!」そう思った方々がこれからも増えていけば嬉しいです。

長くなってしまいましたが、最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします!!

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